「〇〇のために」は結構自分を苦しめる
自分は結構、
「こうしたら○○が喜ぶかな」
「ああしたら○○の負担が楽かな」
など、他人のために何かをすることがある。
今日は人のために、洋服を見るためにお店へでかけた。
スマホでこんなのがいいかとか、あんなのがいいかとか、連絡した。
でも結局、こういうほうがいいとか、こうなっていたほうがいいとか、そういう返答がきて、購入せずに帰宅。
もともと購入するためではなくて、いいものがあるかを見に行っただけだった。
でも、見に行って色々情報を伝えたのに、好みが云々言われ。
じゃあ自分(買いたい本人)が行った方が何倍もいいじゃん、私が行った意味は?と、もやもやした。
喜んでもらえるだろうと、他人のためにしたつもりが、そう受け取ってもらえなかった。感謝もされなかった。
そのことに、私は勝手にショックを受けているみたい。
誰かのために何かをすることは、いいことだと思う。
でもそれをした後、相手から何かが返ってくるだろうと期待することは間違っている。
今回の私は、期待したものが返ってこなかったからショックを受けているんだと思う。
よく他人に期待しないようにしないと、と思っているのに、結局期待して、何かを求めている自分がいる。
今回そういうことがあって、帰宅したとき、思っていた以上に疲れていた。
もやもやした、時間を無駄にしたかもという精神的な疲れ、あとはまあまあ歩いたし運転したことによる肉体的な疲れ…。
「〇〇のために」は、結構自分を苦しめることなんだな、学んだ。
何かを察して行うことや折角だしついでにしておこうとか、相手や空気を読んで行動することが、社会では当たり前。
自分はもともと誰かのために何かしようと考えることが多いし、こうなる前は、そういうことをやらないと怒られる環境にいたから、それが習慣になっているのかもしれない。
メンクリの先生にも言われた、
「おんなじことを繰り返さない」
ということを、気づかずにしている…?
しんどいな。
でも今回、自分の気持ちに気づけたから、いい勉強になった。
できるだけ、相手のことを考えて行動するより、自分のことを考えて行動する。